これらの3つの文明よく似てますね。でも似て非なるもの。
アステカ文明 | マヤ文明 | インカ文明 | |
地域 | メキシコ | ユカタン半島・ベリーズ ホンジュラス・グアテマラ エルサルバドル |
ペルー・ボリビア エクアドル・チリ |
首都 | メキシコシティー (テノチティトラン) |
複数の独立都市国家からなる | クスコ |
言語 | ナワトル語 | マヤ語 | ケチュア語 |
文字 | 一種の絵文字は存在するものの 系統的な文字はない |
4万を超える文字からなる 複雑な形態を持つマヤ文字 |
記述に使える文字はなかった ロープの結び目を用いた キープで記録 |
宗教 | 太陽神 戦争神ウイティロポチトリ 守護神ケツァルコアトル |
太陽神 ”チャック”で知られる雨の神 創造神ククルカン 自然や冥界と関連する多神教 |
太陽神 皇帝は太陽の御子 その他にも自然神崇拝 |
生贄 | 実施 | 実施 球技の勝者もしくは敗者が 生贄とされたのは有名 |
人間は比較的少なく リャマなどの動物が多かった |
ミイラ | なし | なし | 死後も生き続けると考えられ ミイラも作成された |
これらの文明が鉄器や車輪、牛馬を持っていなかったのは有名な話です。インカの場合は山地ばかりなので車輪や牛馬は逆に役に立たなかったと考えられますが、マヤやアステカは比較的平地が多いので車輪があっても悪くなさそうですが。ちなみに牛馬はなくてもインカのリャマは悪路に強くかつ非常に重い荷物を運ぶことができるインカの地形にはもってこいの動物で、もちろん交易の主役でした。
共通点の一つにスペインのコンキスタドールにより1519-1532の短期間に征服され、かつ彼らの持ち込んだ伝染病により多くの人々が死に人口が激減したことが挙げられます。特にアステカやインカは文字を持たなかったため口伝えでのみ伝承されていた貴重な歴史や技術が失われてしまったことは残念なことです。
南米に行くといたるところにあるコロニアル都市の美しさに惚れ惚れしますね。しかしながら、もちろんそれは入植してきたスペイン人が構築した都市であり、固有の民族のものではありません。
似たような話はいくらでもありますが、例えばマヤの”ユカタン事物記”があります。この書物はフランシスコ会の宣教師ディエゴ・デ・ランダが書き記した資料ですが、実は彼が現地人虐殺の罪により本国召還されて裁判を受けたときに提出した資料です。
彼はマヤの文献を”キリスト教布教を邪魔する悪魔の書”とみなし、焚書してしまいました。マヤの神官たちが守るマヤの文書館に立ち寄り、そのメモを取った後建物もろとも焼き払ったそうです。さらに見つけた文書を片っ端から処分していったと。現在マヤの古文書はわずかしか残っておらず、その理由の一つは間違いなく彼 だといわれています。しかしながらこの書物の中に当時のマヤの人々の生活の記述や、マヤ文字とスペイン語の対訳表があったため、これが結果的にマヤの文明の様子を知り、マヤ文字の解読を助けることになるという皮肉な結果を生むことになりました。
今南米を訪れると、熱心なカトリック教徒である人々が無心に教会で祈りを捧げる場面に出くわします。その姿や信仰心の深さはキリスト教徒でなくても美しく思え、また敬愛できるものです。しかしながら、そのような光景にどうしても寂しさを感じてしまいます。
ある教会を訪れたとき、祭壇に祈りを捧げた人が祭壇脇にある小さな石に祈りを捧げていました。ガイドに”彼は何をしているの?”と尋ねると、”あの石はインカの時代から続く神聖な心のより所だ”と教えてくれました。その考え方は偶像崇拝やアニミズムを異端とするキリスト教の考え方に反するものですが、教会の中でそのような行為が許されていることに驚きました。今となってはどちらも真ではあるのでしょうが、数百年前とはいえ強制的にキリスト教徒へと改宗させられたことを考えると、複雑です。
”四大文明”って教科書で習いましたね。メソポタミア文明・エジプト文明・インダス文明・黄河文明。でもこれらとほぼ同時期に存在した文明があることをご存知でしょうか?アンデス文明です。
リマから北へ100kmほど移動したチャンカイ谷で発見されたシクラス遺跡。炭素年代測定により紀元前2800年近くの遺跡であることが確認されています。黄金が発掘されなかったため手付かずで放置されていたらしいです。つい最近の2006年、日本の発掘隊により発見されました。近くには10年程前に発見された紀元前2500年頃のカラル遺跡があり、その発見は大きなニュースになりましたが、石組みを用いたピラミッドが9基も見つかったりしたため、その存在を疑問視する(例えば3000年後のナスカ文化時代に作成されたピラミッドは日干し煉瓦で造られており、技術の逆転現象が見られます)向きもありました。しかしながら、同時期のシクラス遺跡が発見されたため、古代文明の存在がさらに裏付けられることになりました。
四大文明はチグリス・ユーフラテス川、ナイル川、インダス川、黄河といった大河と共にありました。”大河なくして文明なし”という考え方が一般的ですね。しかしながら、この文明は大河(クスコの脇、インカの谷を流れるウルバンバ川は実はアマゾン川の源流のひとつです。ただ、アンデス文明が栄えたエリアでは川幅・水量共に大河というレベルではなく、また国土のほとんどのエリアが険しい山岳であることからも水に恵まれていたわけではありません)を持ちません。マヤは川がなくても漆喰を用いた先進的な灌漑技術を持っていました。アンデス文明がどうであったか、興味をそそられますね。現在残っているアンデネス(段々畑)にも水路を見ることが出来ます。マチュピチュには水道設備もあります。きっと古代から水を制する技術を持っていたに違いありません。
ちなみに、長江流域でも同時期(最近の記述では、黄河文明と合わせて”黄河および長江流域の文明”といった表現が用いられているようです)に、地中海でもエーゲ文明が栄えていたということが分かってきており、”四大文明”という限定認識は最近では否定されつつあります。アンデス文明を入れて五大文明、最後まで国家や帝国を形成しなかったものの先進的な文明を共有した都市国家の集合体として隆盛をなしたマヤを始めとするメソアメリカ文明まで含めて六大文明と言う呼称もあるそうです。
それに、”コロンブスの新大陸発見”という言い方も変わるかもしれませんね。旧大陸と新大陸という概念もこうなっては意味ないですから。ま、そもそも新大陸という名称自体が先住民を無視した言い回しですから、失礼といえば失礼です。”コロンブスのアメリカ大陸到達”が適切でしょうか。
漆喰というものは古代文明を語るときに必ず登場してきます。何故か。現在のようにコンクリートやプラスチック、金属管が発達していなかった古代において、水を漏らさないことができる材料だからです。
マヤ文明が栄えた地域には大河がありません。どうやって彼らは水を得たか、その答えが漆喰です。彼らは地面を漆喰で覆い、地下に設置された水釜に雨を集めることによって水を集めていました。この施設のあとは多くのマヤの遺跡でその跡を見ることが出来ます。
さて、右のCGはNHKのHPからお借りしたものです。ティカルの遺跡の復元CGです。すごい色彩ですね。この白い部分と赤い部分はどちらも漆喰です。赤はサボテンにつくカイガラムシからとれるコチニール(われわれの身近なところではカクテルでよく出てくるカンパリがこれ系の色素を含んでます)や火山灰などを用いて着色したものです。ちなみに、下の写真はコパン遺跡で見つかった神殿を復元したものです。極彩色というか、すごい色使いですね。現在のマヤの遺跡を見てもこの漆喰が残っている場所は稀で、”当時は全体が漆喰で覆われてた”というような説明を聞いてもあまりしっくりこなかったんですが、初めてこんなに派手だった知ったときは私も驚きました。
さて、大河がなく雨が少ないというビハインドを漆喰によって乗り越え栄えたマヤ文明ですが、その漆喰がまたマヤを滅ぼしたという説もあります。
漆喰は石灰岩や貝などを材料として、それらを高温で焼き消石灰とした後に接着剤になる植物・海草糊、麻などの植物繊維と水を混ぜ合わせることで作られます。すなわち、漆喰を作るのに大量の燃料:木材が必要なのです。
人口が多くなり、より多くの水を集めるためにより多くの漆喰が必要になりました。また次第に建築物が装飾性を増しそのためにも使われるようになるなど、大量の漆喰が使われるようになりました。結果的に再生不能なほど大量の森林を伐採してしまい、食糧生産に悪影響が生じ、また森林の減少で降雨さえも減少し滅びてしまったというものです。
多くのマヤ遺跡が隆盛を誇っていたにもかかわらず忽然と姿を消しているのは、一定の人口を超えると森林伐採による自然破壊で都市機能が麻痺したからではないかと。本当にそうであったかを証明するのは難しいものの一つの説として納得できます。