マヤ文明の人々は自らを”時(マヤ)の民”と称し、非常に複雑かつ正確な暦を使いこなしていました。またよく対比されるインカ・アステカと異なり書き記すことも出来る言語、マヤ文字を使っていたことでも特出しています。
現在のグアテマラ・ホンジュラス・ベリーズ・エルサルバドルとメキシコのユカタン半島一体にマヤ文明が栄えました。歴史的には太平洋岸の高原地域に発生し、歴史が進むにつれにカリブ海側へと拠点を移していきます。大河・鉄器・車輪という文明の3大要素を全て持っていなかったのにも拘らず、極めて先進的な文化が花開いたのは驚異的です。ちなみに川がなかった代わりに漆喰を用いた灌漑技術を活用していたことが特徴的であり、また10世紀頃に忽然と歴史の闇に消え去ったのもこの漆喰(漆喰の材料である消石灰もしくは貝灰をつくるための燃料調達、森林伐採による自然破壊)が原因で はないか(マヤ人は熱狂的な運命論者であったことからそれも有力視される消滅原因の一つです)と考えられています。

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エル・プエンテ
エル・プエンテ
コパン
コパン
ホヤ・デ・セレン
ホヤ・デ・セレン
ティカル
ティカル
キリグア
キリグア
 

エル・プエンテ ホンジュラス

1938年に発見されたにも関わらず、50年近くも放置されたあと、日本の援助で整備された遺跡。復旧状態は基壇の状態がわかる程度であり、規模もさほど大きいわけではないが訪問者は少なくゆっくり散策することが出来る。

共通性はあまり見つけられないものの、コパンの衛星都市であったといわれている。

エル・プエンテ
ピラミッドの上に登ると辺り一面を一望することが出来る。この遺跡を中心に大きなエリアに人々が生活していたらしい。コパン遺跡を訪れるのであれば是非足を伸ばしたい遺跡。 エル・プエンテ
エル・プエンテ エル・プエンテ
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コパン遺跡と同等、コパンルイナスからのアクセスが現実的。道が結構険しいので自分で運転する場合は注意が必要。悪路の運転に慣れていない人は現地ドライバーを手配するほうが無難。2時間ほどで着く。

 

コパン ホンジュラス
マヤ遺跡の中で最も美しいと称される遺跡。王の彫像や功績を記した石碑・神聖文字の階段など史料価値の高さでも知られる。高浮き彫り・丸彫り形式の石碑はコパン文化に特有のものであり、8世紀に最盛期を迎えた。

古典期のものとしては最大規模の球技場もある。両脇に斜面がある特徴的な形態をしており、その上部に観客席とも更衣室とも言われる部屋があり、マヤアーチを見ることも出来る。後期の遺跡ではリングであるゴールとしてオウムの頭の石造が配置されている。ゴム製のボールを下半身だけで地面に落とさない(彼らはこのボールを太陽とみなしていたようである。信仰の対象である太陽が沈まない{地面に落ちない}ことを祈っていた)ようにゴールさせるペロタが行われていた。

コパン
特筆すべきは755年15代カック・イピヤフ・チャアーン・カウィールによって建設された神聖文字の階段ピラミッド。72段の階段に2500文字にも達するマヤ文字が刻まれており、マヤ文化で最大最長の文字史料である。

また、コパン王朝史を知ることが出来る祭壇がある。この祭壇には16人のコパン歴代王が刻まれているが、不思議なことに初代キニチ・ヤシュ・クック・モ王と16代ヤシュ・パサフ・チャン・ヨアート王が向き合い、王杖を手渡しているのである。この16代王を最後にコパンは忽然と姿を消すことになるのであるが、この祭壇が16代王が自ら退位し王朝を閉じたのではといわれる根拠になっている。多くのマヤ文明は運命論を深く信じそれに従い生きていたことが知られているが、これもその一つである。

コパン
コパン
コパン コパン
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キリグアの遺跡から1時間程度。コパンルイナスに宿泊し、町の郊外にあるコパン遺跡へ10分程度でいける。ホンジュラスの首都テグシガルバからは直行便がなく、乗り継ぎで8-9時間かかり、道も悪いため現実的でない。

コパン

ホヤ・デ・セレン エルサルバドル
小規模な遺跡ではあるが、火山の噴火により人々が生活していた状態そのままに埋没したことで”マヤのポンペイ”と呼ばれている。

3世紀頃から農耕が営まれていたが、640年くらいに近郊のロマ・カルデーラ火山が噴火しその幕を閉じた。1400年もの間火山灰で保存されたために、住居やトウモロコシ畑などが当時の状態で残されたため、当時の生活を知ることが出来る貴重な遺跡として知られている。

ホヤ・デ・セレン

発見されている建築物は日干し煉瓦で造られており、また細い植物を用いて補強していたことがわかる。スチームバス(蒸し風呂)も見つかっており、興味深い。

現在発掘されたエリアは実は全体の1%程度でしかないという説もあり、今後の発掘が期待される が、現地の人に話を聞くと”今のところは全く予定はない”といっていた。

ホヤ・デ・セレン
ホヤ・デ・セレン ホヤ・デ・セレン
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サンサルバドルから36kmバスで1時間。近くにサン・アンドレス遺跡やタスマル遺跡があるので回るのであれば一緒に。

 

ティカル グアテマラ
マヤの遺跡の中で最大の規模を誇る遺跡であり、現在わかっているだけでも16km2に3000もの建築物が確認されている。

密林の中に広場や数々の建築物が建てられており、マヤ人が生活していた当時の環境を偲ぶことができる。人口は少なくとも1万人以上、5万人近くの人口を誇ったといわれる。

周辺には多くの遺跡が点在しており、ティカル以前のマヤ遺跡も多数存在する。

ティカル
5世紀前後にメキシコ北部のティオティワカンの影響を強く受けたといわれる。”失われた世界”と呼ばれるティオティワカンの”太陽の神殿”によく似た建築物があり、その史実を裏付けている。

ティオティワカンが衰退した8世紀にもっとも栄えたとされ、その頃建築されたI号神殿は上部神殿部でジャガーの像が発見されたことから”ジャガーの神殿”と呼ばれている。51mを誇る大ピラミッドで、純粋なマヤ様式のものであり、垂直傾向が強く非常に急な階段がある。またIV号神殿は高さ70mであり、米大陸で最も高い建築物だった。

ティカル
ティカル ティカル
ティカル ティカル
ティカル ティカル
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グアテマラシティーからバスで8-10時間でフローレスへ。夜行バスがあるのでそっちが効率的。フローレスからは遺跡行きのシャトルバスがあり、1-2時間(約60km)で到着。

 

キリグア グアテマラ

3世紀年ころから創設が始まったとされ、8世紀の”嵐の空王”の頃に隆盛を極めたとされる都市。長い間コパンの属国であったが、737年にコパンの王を捕らえ殺害し独立を果たしたという。その後100年もしないうちに衰退してしまった。

精密な立体彫刻が数多く残っている。コパンとの共通点は多いが、石柱はより巨大なものが多く、都市の規模も大きかった。最も高い石碑は11.7m(米大陸で最も高い石碑)もあり、771年に建造されている。これらの石碑により王朝の創始から終焉に至る歴史がかなり正確にわかっている。

キリグア
スォモロフォ(獣形祭壇↓)と呼ばれる特徴的な像があり、蛇に飲み込まれる王像とマヤ文字が刻み込まれている。 キリグア
キリグア キリグア
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グアテマラシティーからプエルト・バリオス行きバスで4時間。キリグア遺跡への分岐点で下車し、さらにミニバスに乗り換え10min位で到着。かなり便が悪いため、車で行くほうが無難。また、グアテマラシティーからコパン遺跡とセットになったツアーが数多くあるため、それを利用するのも手。

キリグア