"Seven Wonders of the World"いわゆる"世界の七不思議"は、紀元前2世紀古代ギリシアのフィロンが記した”世界の七つの景観”がもととなっています。これは当時の地中海周辺にあった必見の建造物という意味だったんですが、後にWondersと訳されたために不思議なものとして広く伝わってしまったというもの。

ここでは世界中にある不思議な遺跡群を紹介。

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ストーンヘンジ
ストーンヘンジ
万里の長城
万里の長城
ナスカの地上絵
ナスカの地上絵
クスコの精巧石組
クスコの精巧石組
イースター島のモアイ
イースター島のモアイ
 

ストーンヘンジ イギリス

有名なスポットですね。古代の天文台や太陽崇拝などさまざまな説があるものの正確な存在理由は分かっていません。ただ紀元前2000年とも3000年ともいわれるほど古く、現在のイギリス人が移住する前から存在していたものです。実際は複数の時代にかけて増改築を繰り返してきていることが分かっています。

ストーンヘンジ
リング状に配列された石列のすぐ近くにあるヒールストーンの上から夏至の太陽が昇ります。またいくつかの石が方角を意識して配列されており、天文台といわれる所以となっています。

この遺跡は実はこれを中心とするソールズベリー平原一帯に広がった宗教遺跡としてみる説もあり、近くを流れるエイボン川から続く道を使って何らかの宗教儀式が行われていたといわれています。周辺にも遺跡が見つかっており、またストーンヘンジから目にすることも出来るいくつもの墳墓(築山のようになっていますが)もそれを彷彿とさせます。

ストーンヘンジ
ストーンヘンジ ストーンヘンジ
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ロンドンから電車で2時間。駅からストーンヘンジ行きのバスに乗り1時間弱で到着。

 

万里の長城 中国
唯一宇宙から見える人工建造物である万里の長城。ちなみに、ユネスコには”Great Wall”として登録されている。さしずめ”偉大な壁”といったところか。

秦の始皇帝が建設したといわれるが、現存している長城の多くは17世紀の明代に建設されたものである。建設自体は春秋戦国時代に始められており、諸国によって建設されてきた防御壁を始皇帝が接続・統一管理し始めたことから始皇帝の名が語られる。実に2200年に渡って建築された総延長・建築期間共に群を抜いて大規模な遺跡。

万里の長城
東の端は実は渤海湾に達しており、海に突き出ている。延長3000kmといわれるが、最近の調査で人工建造部分で6260km(ちなみに、華里は0.5kmであり万里は5000km)、自然の地形を含めた総延長が8852kmであると発表されている。のろし台も5500以上確認されており、壮大という言葉がふさわしい遺跡である。 万里の長城
万里の長城 万里の長城
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場所によってアクセスのしやすさはかなり異なり、場所によっては歩いていくしかないところも。北京からアクセスしやすい八達嶺はバスで2時間弱。

 

ナスカの地上絵 ペルー
周りに小高い山など何もないナスカ平原に突然現れる幾重もの溝。その全貌を見るには飛行機でフライトするしかない、そうナスカの地上絵。この地域に生息するハチドリをはじめ、よく知られる猿・シャチ・蜘蛛・ペリカンや宇宙飛行士(人型をした形、頭の部分が大きく宇宙服を連想されることからこういわれている)などの他に多数の幾何模様(特に複数の平行線や長方形で形成されたものが多い)が描かれており、神へのメッセージ・飛行場などさまざまな憶測を呼んでいる遺跡。夏至の太陽の動線方向に伸びる線があり天文台としての機能、またエクアドルでしか取れない雨乞いの儀式に使用される赤貝の貝殻が見つかっており、雨乞いの儀式を行った場所との説が有力視されている。 ナスカの地上絵
単なる溝に見えるものの実は複数の層からなる構造を持っているものもある。基本的には太陽によって酸化された表層の変色層を両脇に寄せ酸化していない層を出しより鮮明化するという形で形成されている。

2009.1に大雨が降り一部の模様が破壊されてしまった。もともとこの地域は極めて雨が少なく、このような遺跡が数百年にわたって奇跡的に保存されてきたが、これも温暖化の影響により危うくなりつつあるということである。早めに訪れておかないと消滅してしまうかもしれないある意味危機遺産かも知れない。

ナスカの地上絵
ナスカの地上絵 ナスカの地上絵
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リマからクスコまで500km程度の距離でありバスで6-7時間。途中300kmくらいの場所にあるイカから飛行機に乗って遊覧するというのも手。ちなみにリマからも遊覧飛行用のセスナがあるがかなり高価で便も少ない。

ナスカの地上絵

クスコの精巧石組 ペルー
クスコに限らずインカ帝国の石組みの技術は特質すべきものである。”かみそりも入らない”と表現されるほど隙間のない精巧な石組みは、インカ帝国を徹底的に破壊しようともくろんだスペイン人が破壊することが出来ずにその上に建物を建てたというほど。
クスコの町並みはコロニアル風の建築物がインカ時代の石組みの上に建てられており、その話を髣髴とさせる。素晴らしい技術を垣間見ることができると共に破壊された文明を憂えることができるモニュメントである。ちなみに、その後たびたび発生した地震でスペイン人の建築したサント・ドミンゴ教会をはじめとする建築物が破壊されても石組みは無傷だったことからもその技術力の高さが裏付けられる。
クスコの精巧石組

インカの遺跡はどれをとってもこの精巧な石組みに驚かされるが、クスコの石組みは比較的小さい石を組み合わせているにも拘らず多面石が多い。有名な12面石を始め多くの多面石を見ることが出来る。

クスコの精巧石組
クスコの精巧石組 クスコの精巧石組
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サン・ブラス教会からアトゥン・ルミヨク通りを下り、宗教美術博物館の角から少し進んだ場所。表示等はないため、ひたすら探す。

 

イースター島のモアイ チリ
1722年オランダ人がこの島に到達したのがイースター(復活祭)であったことからこのように命名された。現地語ではラパヌイと呼ばれている。コハウ・ロンゴ・ロンゴと呼ばれる絵文字が発見されているが、奴隷貿易などで神官や住民が連れ去られ、また天然痘などの伝染病の蔓延ために途絶え、文字板はキリスト教布教時に焼かれてしまったためその多くが失われ、今は解読されていない。 ちなみに島最古の遺跡は紀元前3世紀。
モアイは8世紀くらいから作られ始め15世紀に最盛を向かえる。その後17世紀にはモアイ倒し戦争が勃発し、19世紀にはほぼ全てのモアイが倒された。全島で1000体近 く確認されている。接ぎのない一塊の凝灰岩から切削され製作される。
イースター島のモアイ
アフと呼ばれる祭壇に立てられており、プカオという帽子をかぶっているものもある。本来は眼があり、その眼から放出されるパワーをマナと呼ぶ。このマナにより村を守るため 、モアイは村向き、すなわち海に背を向けて立っている。後の部族がこのマナを嫌い眼を破壊したため、現存のモアイの多くは眼がない。
初期のものはより小型で人間に近い形をしているが、しだいに権力の誇示が目的となり巨大化かつ抽象化が進んでいく。現在 立っているもので高さが最大10mで80t。作成途中ではあるが最大のものは20mで200t以上あるという。モアイは石切り場から10km、プカオは島の西側のプナ・パウから20km近くも運搬されており、運搬方法などははっきり分かっていない。
イースター島のモアイ
イースター島のモアイ イースター島のモアイ
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日本方タヒチ経由で乗り換え時間0として16時間、もしくはチリから5-6時間。いずれも空路。ちなみに隣の島までは2000kmも離れており(ちなみにチリからは3700km)船でのアクセスは非現実的。

イースター島のモアイ