南アフリカ共和国の治安

さて、 2010年の6/11-7/11に南アフリカ共和国でワールドカップがありますね。アフリカで初めてのワールドカップ開催ということでそのこと自体は喜ばしいことです。ぜひ成功してもらいたいと思います。最近はニュースでもこのことを頻繁に取り上げるようになり、いつものごとくスタジアム建設や交通インフラの整備が遅れているなど報道されています。

でもですね、
このワールドカップを観戦しに行く予定がある人はよく考えてから行ってください。

真の問題はインフラ整備の遅れなんて生易しいものではありません。私は始めてワールドカップが南アフリカ共和国であると聞いたときは、”冗談でしょ!”って思いました。行くいかないは、もちろん個人の自由ですが。仮に、候補国の一つだったエジプトであれば、”どうぞお好きに”っていいます。なぜか・・・。
このコラムを読んでいただいて、熟考して、行くのであれば万全の準備を。

さて、外務省のページを見てみますと、

「ヨハネスブルグやプレトリア等の都市部では、武装強盗、強姦、窃盗等の犯罪が多発しています。」
「最近は、偽警官による犯罪や、空港から尾行されて自宅前等で強盗に遭った例が特に目立っています。尾行強盗については空港から遠い地方都市でも発生しているので注意が必要です。」
「ヨハネスブルグのダウンタウン地区では、殺人、強盗、強姦、恐喝、暴行、ひったくり、車上狙い、麻薬売買等の犯罪が時間、場所を問わず発生しています。」
「ヨハネスブルグ中央駅付近や長距離バスターミナル等においては、邦人旅行者が付近を通行中に首絞め強盗に襲われる事件が頻発しています。これらの事件は白昼、人通りが多い所でも発生しており、中には長距離バスから下車した直後に襲われた例もあります。」
「従来、比較的安全とされてきたヨハネスブルグ郊外においても、ショッピングセンター内の銀行や宝石店に武装強盗団が押し入り、警備員や駆けつけた警官との間で銃撃戦となった事件や、在留邦人がよく利用するレストランの営業時間中に拳銃強盗が押し入り、店からだけでなく客からも金品を強奪する事件も発生しています。」
「観光地として有名なケープタウンにおいても犯罪件数は高水準で推移しており、主に強盗、窃盗、ひったくり、置き引き、クレジットカード不正使用などの一般犯罪が多発しています。観光客で賑わうウォーターフロント地区や市内高級ホテル、レストランでも置き引き被害やクレジットカードのスキミング等の被害が在留邦人や旅行者より多数報告されていますので、身の回り品の取り扱いには十分注意してください」
「ケープタウンのタウンシップには、ギャング、麻薬密売業者、売春婦等が存在する地域が多く、迷い込むと非常に危険です。加えて市街地においても、麻薬密売業者等が多く、邦人旅行者の路上強盗被害も報告されていますので、昼夜を問わず一人歩きは極力避け、やむを得ず単独で行動する場合はひと気がなく不慣れな場所からの乗合いタクシー利用は極力避け、特に夜間は短距離であっても信頼のおけるタクシー会社より手配するようにしてください。」

外務省にはこんなのがありました。
・常にある程度の現金は持ち歩くこと
現金がないと分かるとそのことで激高して殺されちゃうと困るんで、おとなしく帰ってもらうためにお金を持っときましょう、ってことですね。

ちなみに、日本大使館の注意書きには、
・携帯電話は緊急時の連絡に有用(但し、路上使用は盗難の危険があり、要注意)
襲われたときに携帯電話が有効だけど、電話しようとして出したら、今度は盗まれます。ってこと?ですね。持って行くべきか、行かざるべきか・・・。(もちろん、携帯したほうがいいが、緊急時以外は路上で使うなって意味でしょうが)

んー、なかなか。

このような数字があります。

2006年度の殺人事件件数は19,202人(1日53人)。日本はここ20年くらい1,200人位なので、16倍近く。ただ、人口は4860万人で日本は1億2769万人なので2.6倍。ということなので、一人当たりで考えると42倍もの発生率になります。強姦は52,600件(10minに1回)、重大傷害事件が218,000件(2.4minに1回)、住居強盗12,761件。拳銃は6000万丁(1人1.23丁)出回っているといわれています。ま、これ分かっているだけで、ですからね。ほんとはどれだけあるんでしょうか。

またまた最近の医学研究評議会の発表によると、男性の27.6%が”過去に成人女性もしくは少女をレイプしたことがある”とのこと。4人に1人ですね。”自分の友達と話してたらそいつはレイプしたことあった”ってなことになりそうですね。信じられますか?ちなみに男性の12.7%(8人に1人)は”複数の女性をレイプした”、2.1%(50人に1人)は”レイプした相手は11人以上いる”らしいです。女性はいくの十分考えたほうがいいでしょうね。男性は大丈夫か、いえいえ”男性もしくは少年をレイプした”も2.9%(35人に1人)。女性よりはまし?なんでしょうか。
これ、加害者側の数字なので、あまりぴんとこないかもしれませんが、裏返すと被害者もこれだけいるってことです。ちなみに複数ってことは少なくとも倍以上は、ってことですね。”過去に成人女性もしくは少女をレイプしたことがある”と”複数の女性をレイプした”を合わせると8人に3人、ってことは女性3人に1人くらいはレイプ被害者でもおかしくないってことです。
なお、レイプ経験者のHIV感染者は19.6%、そうでない人も18.1%。30-39歳のHIV感染率は40%Over。

まあワールドカップに向けて治安回復を図っているようですので、現在は多少はましになってることを祈ります。

さて、数字はこのくらいにして、実は私、南アフリカ共和国へ行ったことがあります。ということで、実体験を交えてお話します。
 

ヨハネスブルグ空港、怪しい感はありますが、そんなに危険はありません。トランジットだけならそう問題はないでしょう。その後市内へ。ドライバと武装ガードマン、タイヤを撃たれても走り続けることが出来るという防弾車に乗って。世界中いろんなところを見てきましたが、こんなにゴーストタウンという言葉が当てはまる場所はないという感じでした。”リアル北斗の剣”というような揶揄も聞きますが、個人的には否定する気にはなれません。1人で歩くなんてとてもじゃないけど出来ません。滞在時間が短かったので、それで何か語るのもなんですが、これだけの装備で回ったのに本気で怖かったです。

ちなみに、帰りにソウェトにも寄りました。ここはアパルトヘイト時代の黒人専用居住区であり、この地域の外に出るには許可書が必要だったとのこと。アパルトヘイトによるアフリカ系住民迫害の象徴の地です。ヨハネスブルクからは5kmくらいしか離れていないんですが、この地区の住民にとってヨハネスブルクは遥かかなたの存在だったようです。ヨハネスブルグほどの治安の悪さ(ちなみに、安全かといわれたらそういうことではないです。犯罪発生件数だけでいえばこっちのほうが多い。見た感じ安全そうだってだけです、廃墟になったビルなんてここにはありませんから。1人で歩くのは絶対無理。ま、でも例えばアメリカのスラムだって日本人が1人で歩くの自殺行為ですけどね。)は感じません。いわゆるスラムです。ただ、政府が建てているという比較的きれいな住宅(といってもバラックのような建物ですが)が並んでいるところもあります。全般的に住むには劣悪な環境です。

ケープタウンにも行ったことがあります。ここは、まだ安全っていわれましたが、例えばホテルから見える景色で遠いほうには”行ったらだめです”とアドバイスされました。”徒歩で歩くのであればホテル前の広場だけ、あとはウォータフロント(港近くにある事実上の観光客専用地域。多くのガードマンが配置され、ヨーロッパ人が多く、さもヨーロッパにいるような気になってしまう場所)はOK、ウォータフロント行くなら絶対タクシー使うこと”ってな感じです。

南アフリカ共和国であったガイドで忘れられない人がいます。彼はオランダ系の南アフリカ人。彼に案内してもらっているうちに仲良くなり、いろいろな話をしました。彼はほんとに聡明で政治、経済あらゆることに精通していて、ふと疑問に思ったんです。”ガイドは副業ですか?”って聞くと”いや、これが今の仕事だけど”と。結局分かったのは、彼は数ヶ月前まで弁護士だったということ。”弁護士辞めてガイドに?”と尋ねると、彼はこういいました。”毎日何件もの案件の依頼が舞い込んできて、週に何度かは殺人事件も飛び込んでくる。もうこりごりだったんだ”と。彼からいろいろなことを教わりました。彼はヨハネスブルグにも滞在したことがあり、そのときは2名の常駐ガードマンを雇い、鉄格子で何重にも囲まれ、寝室以外はセンサを設置し、検知するとすぐに施設警官部隊が駆けつけるといった暮らしだったそうです。それでも何度も強盗にあったことがあると。今はさすがにガードマンは雇えないらしいので、警報装置と緊急時出動だけにしているそうです。また、こんな話を聞き、アパルトヘイトの問題の深さを痛感しました・・・。

17世紀、植民地時代に端を発し、1948年に法制度化され”人類に対する犯罪”とまでいわれたアパルトヘイト。非白人(バントゥ{アフリカ系黒人}、カラード{混血}、アジア人)を徹底的に白人と差別的に扱った政策。基本的には白人の政治・経済的な特権を維持すると共に安価な労働力を確保するための仕掛け。レストランやホテル、公共交通手段に公園や公衆トイレまでが白人専用とそれ以外に分けられており、異なる人種間では結婚はおろか恋愛さえも禁止。ちなみに、日本人は経済的な理由から1961年以降”名誉白人”として準白人として扱われていました。1980年代から国際的に激しい批判を受け経済制裁を受けた結果、1991年に法律が撤廃。もちろん私もアパルトヘイトが撤廃されたことは喜ばしいことだと思ってましたが・・・。

彼はアパルトヘイト撤廃後のその後の話をしてくれました。南アフリカ共和国は、歴史的には金やダイヤモンド、現代ではレアメタルなど世界有数の鉱石資源国であることがアフリカ最大の経済国である理由です。この事業による莫大な富を占有するために白人支配が続いていましたが、アパルトヘイトの廃止により利権を維持できないと判断した白人の多くがこの国を離れることになりました。ここで、富の再分散が適正に行われていたら、歴史は変わっていたでしょう。一気に体制が変化したことにより政治は混乱し、利権が再分散ではなく一部の黒人富裕層に寡占的に移ってしまったことにより、バランスが崩れ、失業が増大して社会犯罪が急激に増加、数百万の黒人富裕層と雇用事情の悪化(10人に1人しか仕事がない)により以前に増して状況が劣化したより多くの貧困層を生み出すといった最悪の状況が生まれました。少なくとも私はアパルトヘイト撤廃の話は知っていましたが、このことはこの国を訪れるまで知りませんでした。

アパルトヘイト時代に非白人住民にまともな教育が行われなかったことも原因の一つだそうです。現在成人している非白人の多くが教養の低さで就職が困難になっているとのこと。長年の差別的政策が教育格差という深刻な社会構造の歪を作り出してしまったわけです。制度が撤廃されてから10年以上たちますが、黒人の収入は白人の1/4〜1/5程度。こればっかりは時間をかけて補正していくしかないんでしょうが、未だに教育制度の改善はうまくいってないそうです。
余談ですが、あるときホテルまで送ってもらうときに彼に電話が来ました。会話の内容からすると、知人が襲われ意識不明になって入院したようです。”もう少しで仕事終わるから直接病院いくよ”という彼の言葉が耳に残っています。犯罪が他人事ではないということを実感する出来事でした。

ちなみに、ウォータフロントでは日本人の新婚旅行カップル?と思われるようなペアを見かけます。が、個人的にはこんなところにハネムーンに来るの?って思います・・・。何かトラブルに巻き込まれたらどうするんでしょうか?せっかくの思い出が台無しになるんでは?って。あるとき空港への送迎がなかなかこなかったんですが、その理由が先にピックアップした日本人カップルが車上荒しにあって荷物丸ごと取られたらしく、警察によってたとのこと。本人たちは”今日が旅行の最終日だったんでまあ荷物なくてもどうにかなるし”っていってましたが、”ほんとよかったね、命とられなくて”って内心思ってしまいました。彼らは荒らされたときに車にいなかったそうです。ちなみに車に残っていたドライバは怪我して病院送りだったそうです。
 

再度いっときますが、私は南アフリカ共和国やワールドカップを否定するつもりは毛頭ありません。が、新興国では日本のように安全が担保されているわけではないという自覚を持って行動してくださいということを言いたいだけです。例えば重点警備地域からは一切出ない(要はホテルとスタジアム以外の場所には行かない、観光はしない)、信頼がある筋からドライバーと武装警護員を雇い、防弾車でホテルから行き先までDoor to Doorで送迎をつけるのであれば、多分、きっと、ある程度安全でしょう、と思います。ただ、世界中から人が集まるので恐らくしっかりしたガイドや警護員を手配できる可能性は低いでしょうね。ドイツでのワールドカップでは観戦者が337万人。で、ちょっと危ないのと交通の便が悪いので300万人いったとしましょう。警官の数は20万人(ちなみにうち5万人は2004年以降に警官になった新米巡査官)ですので、をー、15人に1人警官がついてくれますね。でも、それって全警官がワールドカップ観戦者を守ってくれたらの話ですが。(ちなみに、この国、軍の兵士が3000人賃金Upのデモのつもりが暴徒化した{2009.8.27}ような状況の国です)。

”俺は体鍛えてるし、とりあえず腕試しにいってみるわ!別に自分がどうなったって自己責任でしょ”ってな考え方を持ってる人は絶対に止めてください。あなたが誘拐でもされたら(いやこの国ではそんな生易しい犯罪はない?、死んだか、大怪我したかってとこでしょうか)、映画「アマルフィ」を思い浮かべていただければ分かりやすいかと思いますが、日本の外交官が大変な目に会います。海外での邦人の事件はあなた1人の問題ではなくなるんです。んで、その費用は当然我々の税金です。そんな税金の無駄遣い、誰もよしとはしないですよ。

 

 伝染病と歴史

さて、巷では新型インフルエンザが猛威を振るっておりますが、これ立派な伝染病(日本では伝染病という言葉を使う疾患は法定伝染病に限られています。なのでほんとは感染症というのが正しいです)ですね。このインフルエンザはH1N1型(ウイルス表面にある抗原性糖タンパク質のヘマグルチニン:Hとノイラミニダーゼ:Nの種別を表記したもの)といわれるものです。ソ連型とかスペイン風邪と親戚のインフルエンザA型のウイルス (インフルエンザの遺伝子のうち、3本がスペイン風邪/2本が北米系鳥インフルエンザ/1本がA香港型人インフルエンザ、その他2本という構成)です。弱毒性で問題が少ないといわれていましたが、季節性インフルエンザより死亡率が高いとの情報もありますし、またスペイン風邪も最初は弱毒性で途中から強毒性に変異した経緯を持ちます。安心は出来ないですね。

ちなみに、季節性インフルエンザの感染者数は年間1500万人で致死率0.1%といわれています。A/H1N1型は2009.9.27時点で全世界の感染報告数34万人で致死率1.2%(4108人:ただし、感染件数の確認作業を停止している国が多数あり”少なくとも”という意味)です。ただし、衛生状態の悪い国や医療体制の整っていない国なども含まれており、メキシコでは0.4%、USA/カナダで0.5%(9/30の情報では0.045%、ハーバード大学発表、ただし米の医療環境でタミフル等が使用されていることが前提です)と発表されています。アジア風邪と同程度といわれています。ちなみに、日本では推定累計27万人感染(9.28)で19人死亡。致死率は0.007%という低水準。でも、この低さは環境と体制のよさがあるでしょう。患者が急増した場合、十分な治療が間に合わなくなるとこの致死率は上がってくることが予想されます。

そのほかにも、パンデミックを引き起こすといわれている鳥インフルエンザH5N1型にも注意が必要です。特にこの鳥インフルエンザは誰も経験したことがない、かつ強毒性で危険性の高いウイルス (致死率が1997年の流行で30%、2004年の流行で60-70%と報告)です。人類が経験したことのない病原体と遭遇したとき、その被害は甚大なものになります。ウイルスに対抗するための抗体を誰も持たない、そのとき凄まじい人数の人々が犠牲になる危険性を秘めています。特に現代は飛行機や高速鉄道(新幹線やTGVなど)をはじめとする広域・高速な移動手段が発達しており、感染症の伝播速度・伝播容易性がこれまでのパンデミックと比較になりません。

そうそう、パンデミックなる言葉も浸透しましたね。この言葉も別に新しいものではありません。辞典などにも載ってる普通の英単語です。このパンデミック、かなり昔から発生しておりまして、場合によってはその時代の歴史を変えてしまうようなことが数多くありました。それらの中で主なものを、インフルエンザも含めてまとめてみました。

種類 症状など 発生年 死者数 歴史的な史実
ペスト 主にクマネズミを宿主とするペスト菌が原因。2-5日で倦怠感や悪寒を感じ高熱が出る。敗血症を起こし皮膚のあちこちに出血班ができ、全身があざだらけになって死亡する。このことから”黒死病”ともいわれる。北里柴三郎氏により発見された。

ノミによる媒介、感染者血痰の吸引などで感染。

542-543 20-30万人 東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルで発生。ユスティニアヌス帝の悪性のせいとされ、”ユスティニアヌスの斑点”と呼ばれた。当時のローマ人口の半数を失い、帝国の機能が麻痺したという。このことは当時先進圏だった地中海沿岸のギリシア・ローマ帝国が覇権を失い、他のヨーロッパ諸国やペルシャが新興する原因の一因となった。
1347 3000万人 当時のヨーロッパ人口の約1/3が失われた。きっかけは1334年の中国杭州の大地震(500万人死亡)だといわれている。これが交易により1337年にエーゲ海沿岸に伝わり、地中海からロシアまで拡大した。特に1349年のイギリスでの大流行では国民の半数が死に絶えたという。労働人口の激減が農作物価格の下落を引き起こし、封建領主制の危機を招き、果ては中世ヨーロッパの終焉をもたらした
天然痘 初期に高熱が出て、3-4日で解熱するが白色の発疹が全身に広がる。その後再度高熱が出て発疹が化膿、体表だけでなく呼吸器・消火器にも同様の症状が発生し呼吸不全で死に至ることが多い。

飛沫感染・接触感染

1977年ソマリアの青年を最後に天然痘患者は報告されておらず、1980年に根絶宣言がなされた。現在は自然界にウイルス自体が存在しないとされており、人類が根絶した唯一の伝染病である。

BC1141   ラムセス5世のミイラから確認されている
165-180 350万人 十字軍の遠征により持ち込まれ”アントニウスの疫病”と呼ばれた。当時のローマは人口の1/3を失う。
1500 2000-3000万人 スペインのアメリカ大陸侵攻の際、全く免疫のなかったアメリカの人々に蔓延、死亡率が90%にもおよび壊滅した部族もあった。結果的に残った人口は100万人足らずといわれておりスペインの侵略を許す一要因となった。スペインが黄金・宝石を得るために歴史遺産を搾取、異教崇拝排除のため文化遺跡を破壊し、キリスト教布教のために古文書を焼き払い、人々の聞で伝わるべき歴史・英知さえも伝染病により失われることになり、アメリカの古代文明の多くが滅び、永遠に謎となってしまった
1756-1763   フレンチ・インディアン戦争では、イギリス軍がインディアンへ天然痘患者に使用された毛布などを送り殲滅を計ったとされる。生物兵器の走りである。この戦争の結果フランスはアメリカの利権を失い撤退したため、イギリス領の植民地が本国の安全保障を必要としなくなり、アメリカ独立戦争を促すことになった。また、フランスはこの戦争とアメリカの独立戦争支援、ヴェルサイユ宮殿建設などに多大な出費を要し、新税導入を図ったことがフランス革命の引き金となった。また、フランスとの植民地獲得競争に勝利したイギリスは植民地貿易で巨額の富を得ることとなり産業革命のきっかけを得ることになる。
発疹
チフス
発熱・頭痛・悪寒のほか全身に広がる紅班状の発疹が特徴であるが、手のひらや足の裏には発疹が出ない。精神錯乱が起こることもある。年齢により致死率が異なり加齢と共に高くなる。

シラミやダニが媒介

1812 8万人 ナポレオンのロシア遠征のときに赤痢や腸チフスと共に猛威を振るう。ロシア遠征に向かった兵士は60万人であり帰還したのがわずか4万人。一般的にはロシアの冬将軍に敗れたといわれるが、実は当時のポーランドやロシアが不衛生であったことによる感染症による死者も深刻なものであった。
戦争・飢餓・牢獄・収容所などによく見られることから戦争熱・飢餓熱などとも呼ばれる。また冬季、特に寒冷地での発生が多い。ナチス・ドイツのアウシュヴィッツでも発生しており、ポーランドではロシア遠征をはじめ歴史的に何度も繰り返し大規模感染が発生している。
コレラ コレラ菌により発病し、低体温・血行障害など特徴的な症状。大量の下痢と嘔吐による脱水症状により死亡する。したがって水分と電解質の補給により効果的に抑制できる。未治療で致死率80%程度であるが、経口輸液により1-2%まで低減される

患者の嘔吐物・排泄物への接触・生水や氷などの摂取

19世紀 それぞれ数-数十万人 BC300年にはコレラと思われる記録があるが、本格的にパンデミックを起こし始めたのは19世紀に入った後。インド、ガンジス川下流のベンガルからバングラデシュ近辺が原発地であるといわれる。
1817-1823 第1期流行 アジア→アフリカ
1826-1837 第2期流行 ヨーロッパ・南北アメリカに至りパンデミック化
1840-1860 第3期流行
1863-1879 第4期流行
1881-1896 第5期流行
1899-1923 第6期流行
インフルエンザ 高熱・頭痛・筋肉痛などを伴う風邪のような症状。まれに急性脳症や慢性疾患の重症化により死亡に至る。通常2-3日で発病。最大10日間ほど潜伏する。人に感染するのはA型とB型。

飛沫感染・接触感染

1918-1919 4000-5000万人 スペイン風邪:H1N1。致死率2.0%。感染者数6億人(全人口の約1/3)ともいわれる。現在のインフルエンザの多くはこのウイルスの亜種が多い。今回の新型インフルエンザもこのウイルスに塩基配列が似ているため、90歳以上の人は免疫があるといわれている。実際はアメリカのデトロイト近辺で流行が始まった(その後のスペインでの流行が大きく報道されたことから、この名前になった)。第1次世界大戦終焉の一要因ともされる。
1957 200万人 アジア風邪:H2N2。致死率0.5%。発生元は香港。50歳以上の人が抗体があり、1900年ころに類似ウイルスの流行があったと見られる。
1968-1969 100万人 香港風邪:H3N2。致死率0.5%。現在の季節性インフルエンザの一つ。アジア風邪と同じノイラミニダーゼを持っていたため、アジア風邪の抗体が有効であったといわれる。

 

 

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