道が世界遺産に認定されることは珍しいです。また信仰対象としての那智大滝や、参詣道としての熊野川の登録など世界的に見ても特徴的な世界遺産。日本の中でも神仏習合(神教と仏教が共存していること、例えば那智の熊野那智大社・青岸渡寺・那智大滝は高さが同じにされており、3者が同格とされてい ます)が最も早く最も進んだ霊場(これが熊野詣が庶民に広く広まった一因。神にも仏にもすがりたい・・・ってことですね)の一つです。”紀伊山地の霊場と参詣道”、 そう、熊野古道です。

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熊野本宮大社

熊野速玉大社

熊野那智大社

青岸渡寺

那智大滝

熊野古道

川の古道
   

熊野本宮大社 和歌山 田辺

熊野三山の一つで、参詣の中心的な存在。熊野詣の最たる目的の場所であり、天皇・上皇・貴族、そして一般民衆もここを目指して参詣道を進んだ。全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮。参拝者は音無川の流れに入り着物の裾を濡らし身を清めて(濡れ草履の入堂)から参拝した。

2000年以上前に縁起し、正式には熊野坐社という。上・中・下の三社からなることから熊野三所権現と、また十二殿に14柱の祭神が鎮座していることから熊野十二所権現との異名を持つ。

熊野本宮大社

もともとはすぐ近くの熊野川の中洲、大斎原(おおゆのはら:現在大鳥居{33.9m:日本一大きいらしい}が立ち、中四社と下四社の跡を示す石祠がある。熊野川と音無川、岩田川が合流するところにある)にあった大社であるが、明治22年(1889年)の熊野川の大洪水により、ほとんどの建物が流出 した。そのとき流出を免れた上四社のみが現存、現在の場所に移築されている。

向かって左側の社殿に”速玉の男神”(新宮)と”夫須美(むすみ)大神”(那智)の両親が、中央の主神が家津美御子(けつみみこ:伊邪那美大神のこと)大神、一番右が天照皇(あまてらすすめ)大神が祭られている。

熊野本宮大社
熊野本宮大社 熊野本宮大社
熊野本宮大社 熊野本宮大社
Access

JR新宮駅もしくは”権現前”(熊野速玉大社最寄バス停)からバスで1時間20分程度。”本宮大社”下車(大鳥居を最初に見る場合は一つ前の”大斎原”下車)、バス停から鳥居が見えている。
熊野川や瀞峡の遊覧が出来るウォータジェット船の発着所(志古)から船の発着時間に合わせ直行便(乗船の場合割引あり、特急バス20min、普通バス40min程度)が出ている。なお、船下りをする祭は、”竹田前"(特急バスは止ま らない、50min程度)へ向かう。なお、紀伊田辺からのバスもあり、約2時間で到着する。

熊野本宮大社

熊野速玉大社 和歌山 新宮
熊野本宮大社から熊野川を舟で40kmほど下った川岸に、熊野三山の一つ、熊野速玉大社がある。かつてはこの3社務を統括する熊野別当の本拠が あり、三山の中心的な存在だった。史料には熊野三山の中で最も早い天平神護2年(766年)に記されている。

もともとはすぐ近くにある神倉山にある神倉神社(神が降臨する神体山として崇められている)から景行天皇時代に現在地に社殿を移したことから新宮と呼ばれていた。 主祭神は生命の根源である水の動きを神格化した神であると言われている。

熊野速玉大社

熊野詣で熊野速玉大社を訪れた人々は、難行の熊野詣を果たした印として、境内にある梛(なぎ)の木↓の葉を持ち帰る習わしがあった。

毎年2/6に白装束に身をまとった男たちが松明を持ち神倉神社の538段の石段をいっせいに駆け下りる”お燈祭り”がある。熊野の冬を代表する勇壮な祭り。女人禁制であるが、参道からの見学は可能。

熊野速玉大社
熊野速玉大社 熊野速玉大社
熊野速玉大社 熊野速玉大社
Access

JR新宮駅(JR特急で新大阪から4時間、名古屋から3時間)から徒歩で15-20min。バス利用の場合は、”権現前”("新宮駅"-"本宮大社"前間バスは基本このバス停に停車する)下車後2-3分。勝浦駅からバスで新宮駅まで40minほど。
熊野川の舟下りの場合、バス停"竹田前"(JR新宮駅から約30min、本宮大社前から50min、いずれも特急バスは止まらないので注意)にある川舟センターから舟(要予約、予約で無料送迎可能)で16km、90min程度(水量によって時間が変わる) 。

熊野速玉大社

熊野那智大社 和歌山 那智
那智山信仰は那智大滝の自然崇拝から始まった。したがってこの社も元は大滝の近くにあった。その後、仁徳天皇の時代、317年に現在の場所に社殿を移したとされる。

主神は夫須美(ふすみ)大神(伊弉冉尊:いざなみのみこと)であり、生産和合の守護神として崇拝されている。熊野三山では十二所権現が祭られているが、この熊野那智大社では例外的に滝宮が加えられた十三所権現となっている。

熊野那智大社

社伝に「神武天皇が熊野灘から那智の海岸“にしきうら”に上陸されたとき、那智の山に光が輝くのをみて、この大瀧をさぐり当てられ、神としてお祭りになり、その御守護のもと、八咫烏の導きによって無事大和へお入りになった」とある。その時大和の国に入る際に道案内をしたとされる3歩足の八咫烏(ヤタガラス)が石に姿を変えたといわれる鳥石がある。

また、平重盛が造営奉行をした折手植えしたものと伝えられている樹齢約850年の樟の大木があり、幹には人が入れるほどの洞がある。

熊野那智大社
熊野那智大社 熊野那智大社
Access

JR那智駅(もしくは勝浦駅)からバスで20-25min、バス停”神社・お寺前”で下車。 古道を楽しみたい人は”大門坂”で下車、30minほどで熊野那智大社の表参道の入り口に出る。そこから5-10min徒歩で表参道を登り、熊野那智大社に着く。青岸渡寺はすぐ横。

熊野那智大社

青岸渡寺 和歌山 那智

那智の浜辺に流れ着いたインドの僧”裸形(らぎょう)上人”が大滝の滝壺から観音像を見つけ出し安置したのが始まりとされる寺。開山されたのは4世紀ごろで、本尊は滝から見つかったとされる如意輪観世音菩薩。西国三十三所巡礼の第一番礼所でもある。

桃山時代に織田信長により焼き討ちされた。その後豊臣秀吉により1590年に再建されており、その記述が現在でも本堂に残っている。桃山様式で、熊野で最古の建造物。

青岸渡寺

現在は熊野那智大社と分かれているがもとは一体(神仏習合)であった。その証拠に、熊野那智大社と青岸渡寺の屋根の高さ、那智大滝の高さは同じに揃えてある。

明治政府によって行われた神仏分離令により2者が分離(なお、熊野本宮大社や熊野速玉大社では仏堂が廃止、失われたためこの寺の存在は非常に貴重)された。したがって、この寺も熊野三山に含まれる。

青岸渡寺
青岸渡寺 青岸渡寺
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熊野那智大社のすぐ隣。那智大滝から歩いて10-15minほど。途中に三重の塔があり、坂を上ったところからの大滝との景色は絵になる。

青岸渡寺

那智大滝・那智原始林 和歌山 那智

高さ133mと日本一の落差を誇る那智の滝。途中の岩盤の切れ目から流れが分かれ流れ落ちる様から”三筋の滝”とも呼ばれる。”日本の滝100選”に選定されている。

もともと那智山信仰はこの那智の滝の自然崇拝から始まったといわれている。現在は熊野那智大社の別宮の飛瀧 (ひろう)神社の御神体そのもの(本殿も拝殿もなく、鳥居の後ろに滝のみがある)として祭られている。なお、飛瀧神社 の御神体は大己貴命(おおなむじのみこと)。

那智大滝

那智原始林全体では60近い滝があり、うち48滝をめぐる瀧行が行われていた。これらをさして”那智四十八滝”と呼ぶ。明治時代の修験道廃止令により一度廃れたが、最近青岸渡寺で那智四十八滝回峰行が再開されている。

この滝は”一の滝”であり、上流に”二の滝”、”三の滝”( 修行道であり、普段は立ち入ることは出来ない。那智勝浦環境協会の”神秘ウォーク”に参加すると入山できる)がある。

那智大滝
那智大滝 那智大滝
Access

JR那智駅(もしくは勝浦駅)からバスで20-25min、バス停”滝前”で下車。 古道を楽しみたい人は”大門坂”で下車、30minほどで熊野那智大社の表参道の入り口に出る。そこから右に折れ5-10min徒歩で飛瀧神社に着く。

那智大滝

熊野古道 和歌山
全国から多くの人々が熊野三山に巡礼した道が熊野古道であり、幾つかの参詣道よりなる。(保存状態が悪いなどの理由で、世界遺産に登録されていないルート{紀伊路など}もあり、全てが網羅されているわけではない)

紀伊路 大阪 京都から出発した天皇・貴族は、淀川を下り、摂津国(大阪)から紀伊国(和歌山)に入り、海岸線沿いに田辺まで進む道。中辺路と共に”熊野九十九王子”が祀られている。
伊勢路 伊勢
神宮
10世紀後半には成立。伊勢神宮への参拝や青岸渡寺(西国三十三 所巡礼の第1番礼所)を基点とする西国巡礼が盛んになる17世紀以降参詣者が増え た。
大峯
奥駆道
吉野山
大峯
山伏など修験者の修行の道。約80kmの道のりがあり、標高1000mを超える山々の尾根道で随所に行場が設けられている。8世紀に開かれた。
小辺路 高野山 全長約70kmと一番短い参詣道で2泊3日ほどで走破できる。全体的に最も良好な状態で古道が保存されている。
中辺路 田辺 熊野古道の中で最も主要なルート。特に那須から本宮にいたる大門坂・大雲取越・小雲取越、海外線近くの高野坂などは特に有名。熊野川もここに含まれる。
大辺路 田辺
(串本)
ほぼ全行程が海辺にあるルート。大半が開発のために失われており、遺構のみが残っている場所が多い。海や山の景観がすばらしく、信仰に加え観光的な要素も強かった。

熊野古道

熊野古道

スペインからフランスにまたがる巡礼道”サンディアゴ・デ・コンポステラの道”(聖ヤコブの遺骸があるといわれているキリスト教の三大巡礼地{ローマ、エルサレム}の一つサンディアゴ・デ・コンポステラ。この聖地にフランスから向かうための巡礼道が道としての初めての世界遺産登録)に次いで、2例目の道の世界遺産登録。

天皇・貴族から一般庶民に渡るまで数多くの人々が参詣しており、その様子は”蟻(あり)の熊野詣”と称された。

熊野古道
熊野古道
紀伊路・中辺路 (なかへじ)に沿って、”熊野九十九王子”が祀られている。大阪の窪津王子から多富気王子まで101箇所にわたり神社が設置されており、詣でる人々を迎えた。ある程度等間隔にあるため、休憩場所として、さらには道標(約100個なので通り過ぎた数を数えると行程の何%歩いたかが分かりますね)としての役割もあった。王子とは一応神社を差すが、例えば最後にある多富気王子↓のように必ずしも社の形態をとっているわけではい。 熊野古道
熊野古道 熊野古道
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それぞれのルートを全て制覇するとなると少なくとも2-3日、ルートによっては1週間以上の日数を要する。したがって、ルートを一気に制覇するのはあまり現実的でない。比較的保存状態のよいルートがいくつも整備され ていることから、それらへのトレッキングツアーなどに参加することをお勧めする。大峯奥駆道 に関しては、中-上級の登山コースであり、観光向けではない。山登り経験者以外は避けること。

なお、那智の大門坂、三輪崎の高野坂などは比較的短時間で気軽に古道を楽しむのに適している。

 

川の古道 和歌山
 紀伊山地の北部に源流を発し熊野灘に注ぐ熊野川。熊野詣の参詣者は、大斎原にあった熊野本宮大社に詣でた後舟で熊野川を南下し、熊野速玉大社を訪れた。その後阿須賀神社や浜王子を経由して那智山に向かい熊野那智大社を訪問。大雲取越・小雲取越 を越え、再び本宮に至り都への帰路についた。

道としての世界遺産さえ稀有な存在であるが、川の道という点では世界に類を見ない遺産である。

川の古道

12世紀には熊野権現に属するという考え方が始まる。下流熊野速玉大社近くには神が行き来する聖地として御船島(10/6に御船祭りが行われる。9艇の早船が島を3周し競漕、神霊を遷した神輿を乗せた神幸船が最後を飾る)がある。

点在する美しい奇岩怪岩、大小さまざまな滝、美しい山並みと、浅瀬や瀬が刻々と変化する熊野川の流れ。驚くほど昔の風景がそのまま残されており、タイムスリップしているような感覚に陥る。

川の古道
川の古道 川の古道
川の古道
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熊野本宮大社からは本宮から大斎原方向に歩くと2-3分で熊野川に達する。

熊野川の舟下りを利用する場合、バス停"竹田前"(JR新宮駅から約30min、本宮大社前から50min、いずれも特急バスは止まらないので注意)にある川舟センターから舟(要予約、予約で無料送迎可能)で16km、90min程度(水量によって時間が変わる) の舟下りを楽しむことができる。

川の古道