日本にもすばらしい世界遺産が沢山ありますよね。つい最近知床半島に行ってきたんですが、いやー、やっぱりすばらしいです。ということで世界の世界遺産を紹介するつもりでしたが、やっぱり日本も捨てがたいということで。
石見銀山以外は行ったことあるんですが、昔なので写真がない・・・。また撮りいかないといけない、ですね。

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知床半島

屋久島

姫路城

平和記念碑

厳島神社
 
     

知床半島 北海道
北海道のオホーツク海側にある、アイヌ語で”地の果て”を意味するシリエトク、知床。

人を寄せ付けない断崖絶壁(落差50-200m)と深い森、多くの湖と川そして滝などが織り成す絶景の地。流氷が運ぶ養分がはぐぐむ豊かな海と陸の特異な生態系(ヒグマ・キタキツネ・エゾシカ・オオワシ・オジロワシ・シマフクロウ・エゾクロテン/鮭・ゴマフアザラシ・ツチクジラなどが生息)が評価され2005年に世界遺産に登録された。

知床半島

洋上クルーズに出るとかなりの確率でヒグマ(写真は子育て中の母熊)を見ることができる。また秋の時期には遡上する無数の鮭の大群を、冬は流氷(羅臼まで行く知床峠横断道路は11-4月は閉鎖)と一年中楽しめる。

なお、知床五湖は一般車で行くことが可能であるが、その奥のカムイワッカの滝は専用のシャトルバスのみ通行(夏季のみ。徒歩も禁止、つーか、ヒグマいる可能性あるので危険)できる。ウトロからシャトルバス(カムイワッカの滝までの往復チケットで全てのバス停に立ち寄れるのでこっちがお勧め)に乗るか、五湖でバスに乗り換える。

知床半島
知床半島 知床半島
Access

バス(札幌・女満別空港・中標津空港)や車の場合は斜里(JRの場合、知床斜里駅)経由でウトロへ。このウトロが観光の拠点。
ホテル街から降りていったところに港があり、フェリーや小型観光船が複数出ている。知床岬までは往復で3-4時間必要。硫黄山までの1-2時間のコースもあるが、こちらはヒグマはまず見れない。洋上は街に比べ5-10℃ほど気温が低く、また風が吹くと体感温度がかなり低くなる。夏でもウインドブレーカなどを持っていくほうがよい。

 

知床半島
世界遺産の認定地域の外ではあるが、斜里とウトロの間にオシンコシン(”下流にエゾマツがある”というアイヌ語が転じた名前)の滝がある。途中で二股に分かれることから”双美の滝”とも呼ばれる。非常に美しい滝であり、必見。日本の滝百選にも選ばれている。知床八景の一つ。 知床半島

屋久島 鹿児島

屋久杉で有名な屋久島。屋久杉とは島に自生する樹齢1000年以上の天然杉をさし、最も最長といわれる縄文杉(樹齢7200年)をはじめ、島中で巨大な屋久杉 を見ることができる。島のほぼ中央に宮之浦岳(1936m)がそびえ、その周囲に2000m級の山々が林立しており、”洋上のアルプス”と呼ばれる。南国のイメージがあるが、高度が高いため山間部では冬は冠雪する。
宮崎駿氏がジブリアニメ”もののけ姫”に出てくる森のモデルとした白谷雲水峡(標高700m)には”もののけ姫の森”という場所がある。雰囲気満点。

”365日中400日間雨が降る”なんていわれているが、そんなことはない。が、山間部はやはり天気が変わりやすいので縄文杉などを見に行くのであれば雨具は必須。年間降水量は平地でも東京の3倍の4500mm、山間部では10000mmに達するらしい。

屋久島

海は美しいが砂浜は少なく、また急激に水深が増すため海水浴にはあまり向かない。海中には美しいスポットが数多くあり、スキューバをやる人にリピータが多いという。しかしながら全般的に潮の流れが急であまり初心者向けではない。

島の北部にはアカウミガメの産卵で有名な永田浜があり、5-7月にかけてウミガメの産卵を観察することが出来る。なお、基本的に浜への立ち入りは禁止されており、永田ウミガメ連絡協議会の観察会(要予約)に参加する必要がある。

屋久島
屋久島 屋久島
Access

鹿児島空港から空路で30min程度、国内の主要空港(大阪伊丹以外)からは直行便はないため鹿児島空港経由になる。もしくは鹿児島港からフェリーかジェットフォイルで2-3時間。島内の公共交通手段はきわめて貧弱で、バスがあるものの1時間に1本なく、かなり不便。レンタカー(港や空港のすぐ近くに店がある)などの交通手段をお勧めする。

島の南端に湯泊温泉(こっちは24時間OK、星見ながら入れる)、平内海中温泉と呼ばれる温泉がある。磯に湧き出る温泉で、干潮前後の数時間しか姿を現さない。混浴ではあるが入浴が可能(更衣室はない)。間近に海を眺めることができ、なかなか風情がある。

屋久島

姫路城 兵庫

その優雅な姿から、”白鷺城”との 別名を持つ日本屈指の名城。姫路市の中央にある姫山に建てられた平城で、1346年に築城された。その後天守閣は数度にわたり立て替えられ、現在の天守閣になったのが関が原の合戦直後であり、池田氏による。その後すぐ本多忠正(徳川秀忠の長女、千姫が奥方であることは有名。城では千姫が暮らした場所も見学することが出来る)が城を引き継ぎ、化粧櫓や西の丸が建てられ、現在の姫路城が完成した。

姫路城

特徴的なのは白漆喰総塗籠、瓦も淡い色で統一されており、白い均整が取れた城郭の美しさは格別である。

螺旋式縄張で構成されており、天守閣に登っていくとその複雑巧妙な構造がよく分かる。高い防御性(関が原の合戦以降暫くすると日本の城郭は審美性の高いものに傾倒していくが、この城は時期的に非常に戦略的なつくりになっている)をうかがい知ることが出来る。

姫路城
姫路城 姫路城
姫路城 姫路城
姫路城 姫路城
Access

新幹線(駅に近づくと車内から城が見える)で姫路駅で下車、駅前の通りをまっすぐ行ったところにある。歩いていける距離(500mくらい)。なお、その通りから一本右にアーケードがあり、歩くのであればそちらを通ると地元色の強い店が多くあり楽しめる。

Hint

2009年の10月くらいから5ヵ年に渡り、天守閣保存修理工事が行われます。特に2010年度は天守閣へ登れないとのこと。また2010-2012年の3年間は天守閣が別の屋根で覆われることになり、その姿を見ることは難しいかと。この時期の観光は状況をよく調べてからいきましょう。


平和記念碑 広島

広島市内の中心部にある原爆ドーム。”Hiroshima Ground Zero:広島の爆心地”ともいわれる。もともと広島県産業奨励館の建物(今もドームの横に当時の職員を祭った建設省の原爆殉職者慰霊碑がある)だった。1945.8.6 8:15、この建築物の南東160m・上空580mで原子爆弾が炸裂、中心温度数百万度で3,000〜4,000℃に達する火球を形成し、猛烈な熱線と放射線、35t/m2に達する衝撃波が町並みを襲った。特に半径1.2km以内では ほぼ即死(ただし、爆心0.5km圏内でも78名の生存者が存在した)であった。半径3kmでは自然発火、市街のほぼ全域で大火災が発生し、最終的に20万人もの市民(うち死亡14万人、当時の人口は35万人)を殺傷した。

ちなみにドームのすぐ近くにある相生橋(実は一部破壊されたものの直後でも通行が可能であった。現在のものは1983年に架け替えられたもの)は原爆投下の 目視目標であった。

広島の原子爆弾は、リトルボーイの呼称を持つ アメリカのマンハッタン計画で極秘裏に開発された原子爆弾。B29エノラ・ゲイ号が高度9600mで投下し約43秒後に炸裂した。総重量4t、ウラン235が60kg使用されたが実際に核反応を起こしたのは800g程度といわれている。砲身式(初期に開発された臨界方式、現在は長崎型の爆縮式が主流)の弾頭を持つ。

第二次世界大戦でナチス・ドイツによりユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)が行われたポーランドのアウシュビッツ強制収容所と並び、人類にとっての負の遺産 として登録。ちなみにアメリカは”戦争関連施設を遺産リストに含めるべきではない”と登録に反対(アウシュビッツに関しては反対してない模様、矛盾してません?)した。

広島は当時兵站基地(総合軍事基地)があり攻撃目標としての大義名分がたつとして選択肢に加えられたが、8/6に広島・小倉・新潟のなかで選択されたのが広島だった。その他、長崎・京都 に加え、東京・川崎・横浜(3都市共に通常の空爆で既に焼け野原だった)も候補ではあった。
 

京都 当初は最重要目標。日本人の心理的反発の抑制、軍事上の重要性の低さ・文化財保護のため選択肢から外された
広島 当時空襲を受けていない都市の中で京都に次ぐ大都市。当時小倉・長崎には捕虜収容所があることが確認されており、広島では確認されてなかった(ただし、実際は存在) ことも第1目標に選ばれた要因
小倉 造兵廠があった。二度目の投下目標として8/9に再選択されたが、前日の八幡製鉄所の空襲火災による煙により目視投下が出来なかったため長崎に変更
新潟 工業地域と住宅地域が離れすぎていた
長崎 平地の広島に対し、デルタ状の扇状地のため広島との対比のため選択肢へ。結果的にレーダ照準で投下し爆心地が町外れになった
東京 神格化している天皇に危害を加えると日本人が徹底抗戦に出るとの判断もあった。天皇を生かしたまま人間化することで戦後処理を有利に運ぶための戦略(占領下でのGHQ政策で実際に実行された )により選択肢から外された

一言で言えば、空襲の被害をあまり受けていない(わざと新型爆弾の性能を調べるために空爆を控えていた)大都市(住宅密集地)に投下するということで決定された。ちなみにアメリカは 終戦直後、戦略爆撃調査団という調査チームを送り込み、爆撃の効果を詳細に調査している。 結局、破壊力の検証が必要だったということなのだろうか・・・。

Access

新幹線の場合、広島駅から広島電鉄や路線バスで15-20minほど。宮島からJRに乗ってタクシーを使う場合は広島駅でなく一つ手前の横川駅からのほうが近いし混まない。広島電鉄の場合「宮島口」から「原爆ドーム」まで直接アクセスできる。


厳島神社 広島

今から約350年前に、儒学者・林春斎が「日本国事跡考」に”安芸の宮島”・”丹後の天橋立”・”陸奥の松島”(日本三処奇観)を記したことが始まりとされる日本三景。 この一つであり、唯一建築物が主たる対象となる宮島の厳島神社。海上に建ち並ぶ建造物と背後の弥山原始林とが一体となった独創的な神社建築であり、建造物が平安時代の寝殿造りの特徴をもつことなどが評価され登録された。

推古元年(593年)推古天皇の即位と時を同じくし、佐伯鞍職(さえきのくらもと)が市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)の神託により創建した。市杵島姫命 ・田心姫命(たごりひめのみこと)・湍津姫命(たぎつひめのみこと)の三女神が祀られており、古くから海上安全・商売繁盛の守護神として崇められてきた。

平清盛は日宋貿易の守護神として厳島神社を詣で、太政大臣に昇進すると平家納経最後となる経巻・般若心経を納める。その翌年の仁安3年(1168年)、寝殿造り様式を取り入れた現存の規模に造営。”神をいつきまつる島”として崇められていた神聖な土地に建てるのを避けるため、海にせり出すように社殿を築いたといわれている。

シンボルマークの大鳥居は、現在8代目(明治時代1875年7月に完成、1951年に海中に浸る部分だけ継ぎ換えられた)。なんと、建てられているのではなく、置かれているだけ。本社拝殿より108間の場所にある。檜皮葺で丹塗り、主柱の前後に袖柱を立て上下を貫で連結した両部(りょうぶ)鳥居形式(置かれてるだけなので、こうでなきゃ立たないですね。ちなみに7t近い錘も入れてあるそう)。

Access

広島駅からJRか広島電鉄で宮島口へ。駅から徒歩5minほどで港があり、最後はフェリーで10-15min。フェリーは15min毎に往復しているのでほとんど待たずに乗船できる。行きは厳島神社側を通るJRフェリーのほう(帰りはどちらも遠い)がお勧め。

Hint

島を訪れるのであれば、干潮・満潮時間に合わせるのがお勧め。美しさが際立つのはなんといっても満潮時、一方、干潮時は砂州を歩いて大鳥居や寝殿造りの基礎部分を間近に見ることが出来る。お子様連れの場合は干潮時がお勧め。港から散策する時間もあるため、干潮・満潮の2-3時間前に島に渡るのがBest。