カンボジア、意外と高度な巨石文明の遺跡が多いんですよね。遺跡の特徴としては比較的小さい石を組み合わせて全体的に加工することで外装をなすような建築様式が目立ちます。また、緻密な彫刻が壁面に掘られているのも特徴の一つですね。ちなみに、アンコール・ワットに近い遺跡はある程度省略しています。 多くがシェム・リアップからすぐの場所ですので、訪れるのであれば是非しっかり調べて、全ての遺跡を制覇してください。 |
アンコール・ワット | カンボジア |
いわずとしれた、カンボジアを代表する遺跡。同国の国旗にもデザインされている。左右対称の美しい寺院でクレーム建築の最高傑作といわれている。アンコールは王朝、ワットは寺の意。12世紀にアンコール朝によりヒンドゥー教のヴィシュヌ神を祭る寺院として建立された宗教遺跡。その後仏教寺院として使われた履歴もある。 なお、中を訪れると分かるが沐浴のためのプールなど多くの池が作りこまれていることがわかる。特に地面より高い位置に池を作る技術は高度な灌漑技術である。この遺跡は治水技術の集大成的な意味合いがあり、乾季にあっても灌漑施設により耕地に水を供給できる利点を誇示していたといわれる。 |
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建築の西壁にはインドの叙事詩マハーバーラタが描かれており、南壁には歴史回廊、天国と地獄、東壁には乳海攪拌など多くの透かし彫りを目にすることが出来る。 クメールの壁画彫刻は基本的に3段から構成されており、下から近景・中景・遠景という独自の遠近法により描かれている。その他にも”天国と地獄”では中段の判定界を境界に上段の極楽界、下段の地獄界という3段構成がとられている。明確に境界がなかったりするので分かりにくい場合もあるがこれを頭に入れておくとより深く楽しむことが出来る。 |
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Access シェム・リアップから車で10-20分。町からアンコール遺跡群を目指すと最初に目前に広がる。以下多くの遺跡はこのアンコール・ワットからすぐの場所にあり、アンコール遺跡群の観光の基点でもある。 Hint 朝日が美しいので日の出前に西塔門から中に入って待つのがお勧め。また夕日はすぐ向かいにあるプノンパケン山に登る。10分程度で頂上に。日が落ちると降りるのが大変なので懐中電灯を持っていると便利。 |
アンコール・トム | カンボジア |
3km四方の城壁を持つ”大きな町”という意味の城壁都市。バイヨン寺院・王宮・テラスなどから構成されている。現在残っている遺跡は、1177年ベトナムのチャンバ軍により破壊されたものをジャヤバルマン7世が再建したもの。 バイヨンはインドのメール山を抽象化したものであり、神々が住む聖域・神が降臨する場所という宇宙観を具現化したものであるという。彼らはこの遺跡を”宇宙の中心”と考えていた。 |
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バイヨン寺院は特に美しく、クメール特有の笑みで有名な菩薩像を多数見ることが出来る。2つの回廊と中央祠堂、50体以上にもおよぶ四面観世音菩薩像など必見の遺跡。 またライ王のテラスや象のテラスもいい状態で残されており、見ごたえ十分。 |
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Access アンコール・ワットから南大門まで5分もかからない。そこからバイヨン寺院もすぐ。 |
タ・プローム | カンボジア |
”梵天の古老”との名前を持つ仏教寺院。ジャヤバルマン7世が母のために建築した。その後ヒンドゥー教に回収されたらしく仏教色の強い彫刻は破壊されている。当時は5000人近い僧侶と600人近い踊り子が住んでいたといわれている。 例えば→は観音菩薩像であるが、やはりクメール特有の表情をしており、仏像と分かっていなければなかなか気付かない。 |
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発見当初に近い形で保存されており、歴史の深みを感じることが出来る遺跡。スポアン(ガジュマル)が絡みつき、遺跡を覆い隠しつつある。その強い根は遺跡を破壊しつつあるが、その風景もまた美しく遺跡の保存か現状維持か意見の分かれるところ。個人的にはアンコール遺跡群の中でも特にお勧め。 アンコール・ワットとの類似点も多く、比較してみると面白い。 |
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Access アンコール・ワットから10分ほど。 |
バンテアイ・スレイ | カンボジア |
遺跡の規模は小さいものの他には少ない紅色砂岩で建築された美しい遺跡。”女の砦”という意味。当時のアンコール王朝の摂政ヤジュニャヴァラーハの菩提寺であったといわれる。 アンコール・ワットより2世紀ほど早い遺跡であり、その独特の色も含めて異なった雰囲気を楽しめる。マハーバーラタのモチーフをはじめ多くのレリーフがあり、この遺跡独特のモチーフが多く見ごたえがある。 |
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中央神殿に彫られたデバダー像は”東洋のモナリザ”といわれている。作家のアンドレ・マルローが盗掘して海外に持ち出そうとしたことでさらに有名になった。現在は近くで見れないようになっている模様。 遺跡に光が当たる午前中に訪問するのがいい。遺跡全体が赤く浮かび上がる。 |
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Access シェム・リアップから約40km。1-2時間で到着。比較的観光客も少なく、ゆっくり回ることができる。 |
バンテアイ・サムレ | カンボジア |
”サムレ族の砦”といわれる遺跡。 ”甘い胡瓜”の伝説で有名。サムレ族の美しい娘に惚れた隠者が彼女を妊娠させ子供バウが生まれた。その子は父を探して森に入ったところ、その子が自分の子だと分かった隠者はその子に名を名乗ることなく胡瓜の種子を与えた。バウが胡瓜を育てたところおいしいと評判になり、それを知った王が独占することに。その際に畑に泥棒が侵入したら殺すようにと槍を与えた。ところが雨季なり胡瓜が取れなくなると、胡瓜が食べられなくなったことに業を煮やした王が自ら畑に入り槍で殺されてしまった。王には後継者がいなかったため、古の掟に従い神象である白い象が背中に乗せる人を探したところ、高官たちをことごとく無視しバウを乗せたという。そうしてバウが王に選ばれ、この寺院を建立したという。ちょっとはしょってますが、ま、そんなお話。 |
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アンコール・ワットとアンコール・トムの間に建築された寺院であり、中央祠堂と回廊が結合されているというアンコール・ワットの形式と回廊のテラスで伽藍を接続するというアンコール・トムの様式を持ち合わせた遺跡。 サルが阿修羅を捕まえてお尻に噛み付いているレリーフやヴィシュヌ神が阿修羅を押さえつけているレリーフなど、面白いレリーフが多い。 訪れる人が少なく、静かに遺跡を回れる。外壁が高く重厚な外観であり、中に入ったときとのギャップが面白い。 |
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Access シェム・リアップから30分ほど。道が悪いので雨季は注意。 |
プレ・ループ | カンボジア |
イースト・メボンと同じ形態を持った寺院。ピラミッドの形態を持つという意味ではより壮大な作り。死者を荼毘に付したといわれる石槽や火葬した後の灰を流す水槽など宗教的な史跡が見られる。こちらも紅色砂岩を使われており、基壇と祠堂の色の対比が美しい遺跡。 |
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5基の祠堂は東側の開口を除いて偽扉が掘り込められている。 いくつかのデバター像を見ることが出来るが、南西部の祠堂の、ヴィシュヌ神の化身であるイノシシ(妻のラクシュミーが化けた姿といわれている)の顔を持つデバター、4つの顔を持つブラフマー神の妻ラスヴァティーのデバターは是非見ておきたい。 |
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Access タ・プロームから3kmほど。 |
ロリュオス・バコン | カンボジア |
ロリュオスは現在のアンコール遺跡群の場所に移る前にあった王都があった地域。 プリアコーと同じくインドラヴァルマン1世が建設した寺院。ヒンドゥー教の神々に奉納した寺院といわれる。伽藍周辺に環濠をめぐらした最初のピラミッド式寺院であるといわれている。 壁面の一部(5層目の南東側壁)には阿修羅のレリーフが残っていが、その他はほとんどは残っていない。建築当時はおそらく全ての壁面がレリーフで覆われていたはずである。その姿はさぞ壮観なものであったであろう。 |
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この建築様式の集大成がアンコール・ワットであり、その建築様式の源流であるこの遺跡はとても興味深い。アンコール・ワットと比較すると多数の類似点があるが建設は881年とかなり古い。 ロリュオス一番の見所。 |
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Access アンコール遺跡群から13kmにあるロリュオス遺跡群。同じくシュリム・アップからのアクセス。 途中プサー・ルーマーケットがある。食料品から日常品まで何でもござれの市場。衛生的かといわれるとお世辞ともそうはいえないが、現地の人々の活気が感じられる。 |
ロリュオス・ロレイ | カンボジア |
893年にヤショーヴァルマン1世が父親をはじめとする祖先を祭るために建設した遺跡。もともとは大貯水池(今は水はない)の中心の島であった。 アンコールにある東西メボンの原型といわれている。もともと6基が建設される予定であったが、4基になってしまったらしい。その証拠に4基の中心と島の中心がずれている。 |
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4基の祠堂の中心にリンガが設置されており、十字型に砂岩製の樋が配置されている。リンガに聖水を流すと4方の樋に流れ出す仕組みになっていたもので、クメールの治水技術を象徴しており、この考え方はアンコール・ワットの建築構造と通じるものがある。 正直言うと、ちょっとがっかりするかもしれません。ただ、せっかくロリュオスに来たのであれば是非立ち寄るべきでしょう。 |
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Access シェム・リアップから13km。プリアコーから国道6号線をまたいで2kmほど。 |
ロリュオス・プリアコー | カンボジア |
”聖なる牛”との名を持つインドラヴァルマン1世により先王のジャヤヴァルマン2世を祭るために建立された寺院。もともとはシヴァ神を意味するパラメシュヴァラという名で呼ばれていたらしい。 879年に建立されており、この地域で年代が分かっている最古の遺跡である。 |
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壁のあちこちに漆喰彫刻が残っているのが分かる。もともとは全ての祠堂が漆喰に覆われていたという。聖なる牛の名のとおり、6つの祠堂の手前に3つのナンディン像(シヴァ神の乗用獣)が並んでいる。 | |
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